リバー・フェニックスを探して

名作とミニシアター系をメインにネタバレなしで発信します。広告を含んでいます。

バスケットボール・ダイアリーズ

リバー・フェニックスを探す旅に出て当時の資料を見ると興味深いのがこの作品です。

「バスケットボールダイアリーズ」は日本では「マンハッタン少年日記」というタイトルで映画公開前から原作が出版されている。

リバーが「旅立ちの時」で爽やか全開でアカデミー賞ノミネートおめでとう!となった時に次に「ジム・キャロルを演じたい」とボロボロになったペーパーバック版の「バスケットボールダイアリーズ」をもっていたという事だった。

リバーはジム・キャロルを演じたくて仕方なかったのではないだろうか?

 

1.映画と原作の違い

原作では2時間弱では描ききれない著者ジム・キャロル氏の13歳から16歳までの壮絶な思春期の軌跡となっている。

映画のように普通のチョイ悪バスケ少年(演ディカプリオ)が急展開で依存症になりホームレスになり克服するという物ではなければ、「ドラッグって絶対的にダメ!(まぁその通りなんですが)」という当然の結論で締めくくるようなものでも無い。

原作は締めくくらないし立ち直らないのです。

 

映画「バスケットボール・ダイアリーズ」は少なくても普通の一般人が見て銃乱射に至るようなものではなく「ドラッグ怖いねぇ」と思えるような(あの事件が無く下手したら学校の授業の麻薬撲滅映画として見るような)感じに仕上がっているように思います。原作と比べると大分違います。

 

 

2.原作について

私は原作「マンハッタン少年日記」を愛しています。

60年代のニューヨークでバスケットボールのスタープレーヤー「ジム」がドラッグ中毒になってしまい何でもする・少年院にも入る。その課程・環境。

当時のクレイジーなニューヨークの町。それでも終始文学的な作品です。

60年代のニューヨークといえば「タクシードライバー」の前。「真夜中のカーボーイ」より前。

キッカケは「ヘロインは中毒にならない」と思い込んでいた事と日記に綴られている。

環境や情報、手軽さが少年を中毒に追い込んでいく。

 

一方でヤンキーススタジアムでのアルバイトやカトリックスクールからパブリックスクール・馴染めなかった金持ちの私立学校等の転校やNY内での転居。恋。子供の地域抗争。映画にはでてこない父との葛藤。挫折。

悪事や犯罪に手を染めながら、当時のNYにあふれていた汚らわしいものを受け入れたくない純粋さ。ホームレスに対する人の良さ、いたずら。教会で教わる事に背いてしまう葛藤。

バスケとドラッグ以外にジムの当時のNYの生活ってどんなものだったのかを鮮明に日記に残されている。

 

日記の終わりには廃墟と思われるのジャンキーのたまり場で4日間ドラッグに酔った状態で嘔吐し窓の光から美術館の景色や卒業していく生徒を見て「純粋になりたい」とつぶやく。

 

詩人とミュージシャンとして活動する事になるジム・キャロル氏。あとがきを読むとニューヨークで出会った体験を詩にした記事を読み”若干13歳でジャック・ケルアックや「裸のランチ」のウィリアム・パロウズがジムの詩を絶賛していた”事がわかる。相当な少年です。

リバーやディカプリオ以外にも演じることを熱望した役者多数。「ライ麦畑でつかまえて」のように刺激的な10代の経過をリアルで目にしたもの・体験した事をありのままに鮮明に日記に残したかなり濃い文学作品なんです。

 

原作のジムの日記を支えているものは詩的な美しさだけでなくユーモアと「うまくいったりいかなかったり」する出来事を重ねる少年像。

2時間の映画で全ては難しい。急激に転落する訳でもなく少年の長い3年かけた引き返せない青春のプロセス。

考えると企画自体映画に納める事は困難だった事がわかってくる。

詩人キャロルは天才的魅力があるとはいえ勿論困った子なので好き嫌いは分かれると思います。読んだのが私もまた10代の頃でした。

 

3.コロンバイン高校の事件について

亡くなった生徒の方、お悔やみを申し上げます。

 

問題になるシーンは日記では66年の冬のある日。退屈な授業中。「中略 本当にマシンガンを使えるならこの授業をズタズタに引き裂いてしまいたい・・・たった一度でいいから」と妄想にふけるジム。

 

ここが95年映画「バスケットボールダイアリーズ」のワンシーンで採用される

1999年アメリカの高校での銃乱射事件へ影響をあたえたと報道される。

ディカプリオは「ギャング・オブ・NY」や「キャッチミーイフユーキャン」で名監督と次々にダッグを組み始め「この映画にでた事は後悔している。もうこの映画には関わりたくないんだ」とインタビューで答えているという経緯になる。

 

真意はわかりませんが・・え、そう言っちゃうと映画の立場は・・?

 

事件自体は悲惨なもので闇が深くあまり語れるものではありません。よくわからないですしね。

 

映画では私が見た限りあまり重要なシーンでは無いんですよね。少しドラッグの影響でジムが変った様に示唆されるように扱っていますが・・。

そして映画の中でも原作でも妄想で誰も殺してません。

映画は事件に影響をあたえたといわれていますが、精神的に未発達の犯罪者は他のものにヒントを得ただろうし映画に罪がないと私は思います。

(たけしみたいな事言うとダイ・ハードやミッション・インポッシブルやインディ・ジョーンズでも殺人シーンはありますから・・)

 

 

4.映画「バスケットボール・ダイアリーズ」

映画はディカプリオのジャンキーの演技が一つの見せ場。

当時のディカプリオは「マイルーム」「ギルバード・グレイプ」等のほっこりする映画がよくあっていた為、少しジム役にはミスマッチだったように思える。当時のディカプリオは清潔感がありすぎるんです。

それでもジム・キャロルバンドの本人の歌声や共演のマーク・ウォルバーグの若手時代の粗々しさやホームレス役でジムキャロル本人のちょい役出演・「ギルバート・グレイプ」で共演したジュリエット・ルイスの神がかっていた頃の演技などの見所は沢山あります。

 

原作に関係者が違う角度で向かい合っていたのならと思うと少し寂しい気がします。(3年間の日記のどこを切り取るかなんですよね)同時期に公開されている「トレイン・スポッティング」のようなスタイリッシュな映画を詩的さを残しつつ出来たのでは無いかと。

それこそダニー・ボイル監督の様なタッチで作ったら。日記の通り悲惨な事もたくましくユニークに扱うような。ジム氏はぶっ飛び過ぎているし「バスケ挫折可哀想と麻薬怖いとディカプリオっていい演技するなぁ」以外の感情になる作品に出来たのではないだろうか。

 

他にも映画版はこのエピソードを切り取りこのエピソードをカットして、この登場人物の設定をこう変えたのかという部分は沢山あります。やはり納めないといけませんからね。

とはいえスコット・カルバート監督が相当に原作を愛していた事とこの作品に対する熱量は映画を見てよくわかります。

 

どちらも名優ですが資料を見ると当時のディカプリオ(当時からインタビューで長期的な視野でキャリアを考えられる。オン・オフの切り替えが旨い事がわかる)と当時のリバー(作品世界に入り込み圧倒的個性とナレーションなどで文学的な映画にしてしまう一方で役にのめりこんでしまう)の個性は異なる。

ディカプリオ本人が失敗作と感じているようなので本人にしかわからない失敗から得たものもが今につながっているんでしょう。「タイタニック」前の10代の頃の作品ですしね。

 

ディカプリオの他にもマット・ディロン、ステーィブン・ドーフ、アンソニー・マイケル・ホールジム・キャロルを演じたがった若手も多い。

ディカプリオが何故リバーの企画を3作品も主演したかは語られた資料がなくわからないです。(それだけリバーがカリスマだった事がうかがえますが)

 

スコット・カルバート監督は2014年に自殺されています。

 

関連作品

リバーが敬愛したガス・ヴァン・サント監督(「マイプライベート・アイダホ」「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」)は「エレファント」でコロンバイン高校銃乱射事件を扱った映画を撮影している。