繰り返される日常。しかし同じ日は1日もない「PERFECTDAYS」
【当サイトはネタバレはさけていますが今回は若干ネタバレを含みます。ご注意ください】
一方ストーリーにふれていますが、観る人によって様々な感想を持つようです。
平山はトイレ掃除に従事(渋谷区のクリエイティブトイレ担当)
物語は主人公平山はお掃除の仕事なので日常生活でつながりがあるのは同僚の若者、休みの日に通うスナック(基本ほとんど喋らない平山がスナックという1人で入るには一種の大人のコミニュケーション力が問われる場所にもいく)、古本屋、夕食をとる場所と限られている。
中年以降に見られる同じ場所で食事をとる。銭湯、コインランドリー、写真屋。
古本屋。全てが行き着け。
日常に思いがけず登場する3人の人物
同僚の入れ込んでいる若い女性。
家出をはじめてした姪。
居心地を提供してくれるスナックのママの元旦那。
家出した姪がヒラヤマの家を訪ねてくる。数日を過ごす。
思春期の頃、家出先候補に平山の様なおじがいたら気持ちは楽だったろうと考えてしまった。
「ママ(妹)とは生きる世界が違う」「この世界はつながっているようでつながっていない」と語る。
この台詞の意味はよくわからなかった。
トイレをきれいなトイレという聖域にする仕事。平山は1人悟りを開こうとしているのではないか。(とはいえ平山は酒は飲むし、家電らしいものはフィルムカメラとラジカセしか持ち合わせていないが好きなものに囲まれてはいるしわかりやすく出家した訳では無いので解釈出来ていません。過去を断ち切った事を意味しているのか?)
単にしがらみを持たず1人で生きる自由や多様な価値観を表現したのだろうか。
今の自分はパラレルな存在だと考えているのか。
(パラレルな人生を生きる方々がエキストラの様に登場してくる)
平山は読書家だ。
パトリシア・ハイスミス(代表作 太陽がいっぱい)
寺田文(父を追悼する作品を多く執筆)
等無差別に様々な本が家にあるが、眠くなるまで読書をする。
姪は平山が所有していたパトリシア・ハイスミスのある短編を気に入る。
「ヴィクターって私みたい」
「私、ヴィクターみたいになっちゃうよ」
この台詞が本を読んでなかったので理解出来ず気になり鑑賞後、図書館に行ったら私の住んでいる地域には一冊しかなく8人待ちだった。
AMAZONで購入する事にしましたが「売れ筋」との事。
PERFECTDAYSの影響力を感じました。
11の物語、短編「すっぽん」に姪の生きにくさを示唆した物語がある。
姪との数日と迎えにきた妹の登場で平山の過去や過去に住んでいた地域が少し見えてきた所で姪は家出を終え平山は1人での生活に戻る。
今の平山を見下している妹との再会した頃から平山は、過去と現在の自分と向かい合う様になる(なっていた気がする)
ひょんなきっかけで平山と同世代の男から身の上話を聞く平山。
生き方は違っても同世代。シンパシーや友情が生まれる。
身持ちは平山より大分しっかりとした男は「結局(今まで生きてきたが)何もわからなかった」と正直な言葉を平山に伝える。深い話になっていく。
やがて聞き役だった平山は「変らないなんてそんなバカな話はない」と熱弁する。
鑑賞直後この平山の発言や考え方に私はこう解釈した。
日常を積み重ねて、人は変っていく。
私自身も数少ない大きなターニングポイントやイベントよりも積み重ねた日常、終電を逃すまで飲み続けた夜、失敗した散髪、安いだけで通っていたうどん屋の味、電車でバイクで移動中聞いていた音楽、職場からの帰り道。
意味の無いような日常を重ねて10代、20代、30代と変化していった気がする。
平山は毎日変わっている。写真の木漏れ日の様に見えている景色が同じでも同じ日は無いのだから。
ただ様々な意見をネット上で拝見してもう良くわからない。
自分が思ったままにしておこうと。
そんな時Xのフォロワーさんからラストシーンについてコメントを頂いた。
平山は自分で言った言葉「変わらないなんて事はない」に対して、ラストシーンにつながってくるのでは無いかと思うようになってきた。
平山は最新の物や承認欲求、他人のエゴに無頓着だ。
💩オシッコには誰でも苦い思いがある。そんな時にトイレが見えたら掃除中・そこで仕事をしている人がいようが人は普通に映画のような態度になる。
アパートは古いが平山にとって毎日新しい感動と楽しく暮らす生活は維持できている。
初老のイケオジがたどり付いたPERFECTな生活。
平山は長い心の旅をしている様に思える。
下流中年の愛を描いた「枯れ葉」
学生やフリーターの様な生活をしながら人生の美しさを描く「PERFECTDAYS」と本作を
1月頃立て続けに見た。2つの作品に見られるのは貧乏だけど高潔な生き方。
自分の意思でライフスタイルを楽しんでいる「PERFECTDAYS」より「枯れ葉」は深刻な貧困。
アメリカ映画やドラマは庶民設定でも豪邸や優雅な生活ばかり。
貧困や裕福では無い作品こそリアルに思え、内容も2作品とも良かった。
若干問題を抱えていても「悪い事をしてお金を儲けよう」という人物は出てこない。
PERFECTDAYSで平山に金を泣き落とすような形で借りた彼も障害をかかえる子に優しい気持ちを持つ男。多分いつか金を返しにやってくると思う。
だから貧しくても高潔に生きていて胸が熱くなった。
「枯れ葉」世代の私には枯れても純粋に生きる事を思い出させる内容だった。
枯れ葉の様に素直な気持ちで「また会いたい」と伝えられる相手がいる事も幸せ。
設定はロシアがウクライナを侵略している現代の北欧。
スマホやパソコンはででこない。ラジオを流している。
主役である女性アルマは0時間契約者という搾取っぽい契約で働いていたが失業したり男性はたこ部屋のような場所で生活している。困難があり誤解があり搾取があるが2人ともまた高潔さがある。
不器用で愛想がなくてお世辞とか言えなさそうな2人の独身者。
キャラクターー達がお世辞が言えなそうな所が共感できた。
真面目で自分に正直で純粋。
貧しくても人生は美しい・・。
「枯れ葉」は恋愛映画を普段見ない私も愛くるしい作品でした。
映画は見終わると現実に戻る。
自国通貨が弱くなりすぎた今を生きる私達。人はお金を稼ぐ為にわずらわしいアレコレを背負っている。そしてこの高潔な貧困を描いた2作品は多くの方の心に残った。
2つの作品は保護も受けず一生懸命働いても貧しい。(平山は毎日外食しているし住んでいる家の外観はぼろいけど場所はいいですし本物の貧困というものでは無いが)
お金は無いと不安と不自由に捕らわれる事は染みついている。
平山の様に人との関わりを避けた1人暮らし生き方をしていて、もしも1人おき上がれない程しんどくなったら・・。
人生は往々にして自分で決めた事に頭が固くなって修正が効かなくなる事がある。
令和は時代の変化に乗り遅れる事や情報弱者になる事を憧れられている時代では無いのだから。
現実生活ではマネーテラシーや搾取っぽい話にはなるべく敏感でいたい自分に戻っていく。
「ダム・マネー ウォール街を狙え」
先の2先品の価値観に影響を受けつつあった私にはバランスを取れた作品でした。
2021年 日本では緊急事態が繰り返されている時に個人投資家達が資産を増やし豊かになろう・貧乏や不景気から抜けだそうとするストーリー。
前2作と違いお金に超執着しています。
生きる為に少しでも多くお金稼ぎたい、資産を増やしたい当然。
高潔さは感じなかったけどギリギリ中流を保っている位の人々が、時代に負けず才覚と株で資産を増やそうというのも高潔な精神。
わかりやすく痛快で元気が出る。
時代の風刺もよく描かれていた2020年代的な実話のコメディでした。