リバー・フェニックスを探して

名作とミニシアター系をメインにネタバレなしで発信します。広告を含んでいます。

「バックビート」 「S×F×W メディアへの銃弾」

当ブログも書きはじめて半年経過しました!

ブログ初心者の私が練習のため、自分が熱く語れるものとして映画を選んだのがキッカケでした。

さてあつく語れる2作品です。2作品ともスティーブン・ドーフ主演。

「バックビート」「S×F×W メディアへの銃弾」と私が田舎(若干文化的な土地気取りだったのか映画館は多かった)の学生だった時に連続で公開されました。

「バックビート」

美術学校の生徒だった19歳のスチュワート・サトクリフは親友ジョン・レノンに誘われ初期のビートルズに加入。

ハンブルクで活動する。ドラマーはピート・ベストだった。

 

ポールとの確執、ハンブルグで運命的に出会った写真家アストリッド・キルヒャーとの恋、絵画への熱意、ビートルズ脱退。

葛藤、情熱、恋。激しく情熱的に生きた21年。

題材が多いこの時期のビートルズをサトクリフの半生にしぼって作られている。

スチュワート・サトクリフが21歳で亡くなるまでの数年間の作品。

スチュ(スチュワート・サトクリフの相性)とアストリッドとの出会いのシーン。

スチュのビートルズのメンバーである未練の立ちきるシーン。

大事なシーンがビートルズが初期にカバーしていた演奏シーンで当時としては見事な演出。

 

 


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「S×F×W メディアへの銃弾」

バックビートが良かったので当時この映画を見にいきました。鑑賞後バックビートはこの映画に出会う為にあったように感じました。

クリフ・スパブはコンビ二でテロに遭遇。コンビニで店員、他利用者と監禁生活を数十日送る。

監禁生活はテロリストが何故かテレビをジャックして放送していた。

死ぬ事もあまり抵抗が無い虚無感を抱えているスパブは監禁中SO ●ぁっきん WHATと言い続けCOOLでユニークに監禁されていた。時に自分の人生感や今置かれている環境と立場も「だから何だ」とカメラ目線で語りかける。その姿と言動が今で言う大バズり。有名人になってしまう。

解放後、元々トラブルメーカーの落ちこぼれとして扱われていたスパブだったが、注目度の高さから有名人の金になる男として扱われる。

 

居場所や自分を見失い、彼を追う様々なものから姿を消すために旅に出るが。

 

音楽に恐らくまだメジャーでなかったレディオ・ヘッドが流れたりします。


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(マリリンマンソン、ホールなどサントラもX世代というなの氷河期世代には激アツです!)

 

監禁中恋に落ちた相手が後にアカデミー賞女優になるリース・ウィザ-スプーンです。

旅に疲れ何から逃げているのか、自分は何者なのかをハッキリさせるため公の場に自分の声を伝える決心を固めたスパブだったが思わぬ展開(スパブとは違う新たな若者の主張)が。

模倣人(というかスパブのアンチ)によりスパブは時の人ではなくなっていく。

 

スパブはどこかジェネレーションXを代表するバンド、ニルヴァーナを連想させた為か(当時の若者で一部流行していたファション・長髪・髭)、私の世代中にはピンポイントでこの映画の大ファンがいた。たまたま私の周りだけでしょうがニルヴァーナ好きのバンドマン達が「この映画は最高」と語っていた。

 

ドーフが「バック・ビート」の取材で次回作「SFW」この映画は「傑作だ」「最低だ」と大きく分かれる映画になると思うと語っていた(のを当時雑誌で読んだ)。

案の定ガラガラの映画館でした。

残念ながらこの作品は現在字幕付きで視聴する事が困難です。(中古VHSでは販売している模様)

 

ある日 もう中年にさしかかった時にファミレスでこの映画のみファンだった人と数時間熱く語ってしまいました。

この映画は「訴え」「主張」が時代のニーズに合っていたら犯罪者(テロリスト)でも有名人になってしまう皮肉が主のテーマです。

スパブはFBIに自作自演の疑いをかけられますがただの偶然の被害、偶然の産物です。

この設定は重要だが普遍的な「居場所もなく」「向かう先もよくわからず」という若者の葛藤が作品中ずっと描かれた映画ともいえる。

タバコを吸って(当時は今ほど形見が狭く無かった)酒を飲んで頭の中にクリープを流して、とりあえず町を徘徊するしか無いスパブに等身大のモラトリアムな自分を見た。

これがこの映画を見て絶賛した当時でも少数派の若者達の鑑賞後感では無いだろうか。

10代。当時の情感。見た年齢が少しズレていたらスパブの「どこに向かえばいいのか」「自分は誰なのか」といった姿(台詞ではない)は私に届かなかったかもしれない。

 

現在もスティーブン・ドーフは活動されているが(後にタイタニックの主演は拒否。さすがスティーブン・ドーフ兄さんと思ったものです)この2作品は10代の特別な時期に鑑賞した特別な彩りを持つ作品です。

そして近年一周回って、比較的どちらかというと単館系映画を「S×F×W」のような感慨深いものを逃さないように追うようになり今に至っています。

 

関連作品 ソフィアコッポラ監督 SOMEWHEREに出られています。

もう中年のドーフが空虚をうまく演じています。

 

 

 

 

 

貧乏だけど高潔 「PERFECTDAYS」「枯れ葉」からの「ダム・マネー ウォール街を狙え」

繰り返される日常。しかし同じ日は1日もない「PERFECTDAYS」

【当サイトはネタバレはさけていますが今回は若干ネタバレを含みます。ご注意ください】

一方ストーリーにふれていますが、観る人によって様々な感想を持つようです。

平山はトイレ掃除に従事(渋谷区のクリエイティブトイレ担当)


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物語は主人公平山はお掃除の仕事なので日常生活でつながりがあるのは同僚の若者、休みの日に通うスナック(基本ほとんど喋らない平山がスナックという1人で入るには一種の大人のコミニュケーション力が問われる場所にもいく)、古本屋、夕食をとる場所と限られている。

中年以降に見られる同じ場所で食事をとる。銭湯、コインランドリー、写真屋

古本屋。全てが行き着け。

 

日常に思いがけず登場する3人の人物

同僚の入れ込んでいる若い女性。

家出をはじめてした姪。

居心地を提供してくれるスナックのママの元旦那。

 

家出した姪がヒラヤマの家を訪ねてくる。数日を過ごす。

思春期の頃、家出先候補に平山の様なおじがいたら気持ちは楽だったろうと考えてしまった。

「ママ(妹)とは生きる世界が違う」「この世界はつながっているようでつながっていない」と語る。

この台詞の意味はよくわからなかった。

トイレをきれいなトイレという聖域にする仕事。平山は1人悟りを開こうとしているのではないか。(とはいえ平山は酒は飲むし、家電らしいものはフィルムカメラとラジカセしか持ち合わせていないが好きなものに囲まれてはいるしわかりやすく出家した訳では無いので解釈出来ていません。過去を断ち切った事を意味しているのか?)

単にしがらみを持たず1人で生きる自由や多様な価値観を表現したのだろうか。

今の自分はパラレルな存在だと考えているのか。

(パラレルな人生を生きる方々がエキストラの様に登場してくる)

平山は読書家だ。

パトリシア・ハイスミス(代表作 太陽がいっぱい

寺田文(父を追悼する作品を多く執筆)

等無差別に様々な本が家にあるが、眠くなるまで読書をする。

姪は平山が所有していたパトリシア・ハイスミスのある短編を気に入る。

「ヴィクターって私みたい」

「私、ヴィクターみたいになっちゃうよ」

この台詞が本を読んでなかったので理解出来ず気になり鑑賞後、図書館に行ったら私の住んでいる地域には一冊しかなく8人待ちだった。

AMAZONで購入する事にしましたが「売れ筋」との事。

PERFECTDAYSの影響力を感じました。

 

11の物語、短編「すっぽん」に姪の生きにくさを示唆した物語がある。

 

姪との数日と迎えにきた妹の登場で平山の過去や過去に住んでいた地域が少し見えてきた所で姪は家出を終え平山は1人での生活に戻る。

今の平山を見下している妹との再会した頃から平山は、過去と現在の自分と向かい合う様になる(なっていた気がする)

 

ひょんなきっかけで平山と同世代の男から身の上話を聞く平山。

生き方は違っても同世代。シンパシーや友情が生まれる。

身持ちは平山より大分しっかりとした男は「結局(今まで生きてきたが)何もわからなかった」と正直な言葉を平山に伝える。深い話になっていく。

 

やがて聞き役だった平山は「変らないなんてそんなバカな話はない」と熱弁する。

鑑賞直後この平山の発言や考え方に私はこう解釈した。

日常を積み重ねて、人は変っていく。

私自身も数少ない大きなターニングポイントやイベントよりも積み重ねた日常、終電を逃すまで飲み続けた夜、失敗した散髪、安いだけで通っていたうどん屋の味、電車でバイクで移動中聞いていた音楽、職場からの帰り道。

意味の無いような日常を重ねて10代、20代、30代と変化していった気がする。

平山は毎日変わっている。写真の木漏れ日の様に見えている景色が同じでも同じ日は無いのだから。

ただ様々な意見をネット上で拝見してもう良くわからない。

自分が思ったままにしておこうと。

 

そんな時Xのフォロワーさんからラストシーンについてコメントを頂いた。

平山は自分で言った言葉「変わらないなんて事はない」に対して、ラストシーンにつながってくるのでは無いかと思うようになってきた。

 

平山は最新の物や承認欲求、他人のエゴに無頓着だ。

💩オシッコには誰でも苦い思いがある。そんな時にトイレが見えたら掃除中・そこで仕事をしている人がいようが人は普通に映画のような態度になる。

 

アパートは古いが平山にとって毎日新しい感動と楽しく暮らす生活は維持できている。

初老のイケオジがたどり付いたPERFECTな生活。

 

平山は長い心の旅をしている様に思える。

 

 

 

 

下流中年の愛を描いた「枯れ葉」


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学生やフリーターの様な生活をしながら人生の美しさを描く「PERFECTDAYS」と本作を

1月頃立て続けに見た。2つの作品に見られるのは貧乏だけど高潔な生き方。

自分の意思でライフスタイルを楽しんでいる「PERFECTDAYS」より「枯れ葉」は深刻な貧困。

 

アメリカ映画やドラマは庶民設定でも豪邸や優雅な生活ばかり。

貧困や裕福では無い作品こそリアルに思え、内容も2作品とも良かった。

若干問題を抱えていても「悪い事をしてお金を儲けよう」という人物は出てこない。

PERFECTDAYSで平山に金を泣き落とすような形で借りた彼も障害をかかえる子に優しい気持ちを持つ男。多分いつか金を返しにやってくると思う。

 

だから貧しくても高潔に生きていて胸が熱くなった。

「枯れ葉」世代の私には枯れても純粋に生きる事を思い出させる内容だった。

枯れ葉の様に素直な気持ちで「また会いたい」と伝えられる相手がいる事も幸せ。

設定はロシアがウクライナを侵略している現代の北欧。

スマホやパソコンはででこない。ラジオを流している。

主役である女性アルマは0時間契約者という搾取っぽい契約で働いていたが失業したり男性はたこ部屋のような場所で生活している。困難があり誤解があり搾取があるが2人ともまた高潔さがある。

不器用で愛想がなくてお世辞とか言えなさそうな2人の独身者。

キャラクターー達がお世辞が言えなそうな所が共感できた。

 

真面目で自分に正直で純粋。

貧しくても人生は美しい・・。

「枯れ葉」は恋愛映画を普段見ない私も愛くるしい作品でした。

 

映画は見終わると現実に戻る。

自国通貨が弱くなりすぎた今を生きる私達。人はお金を稼ぐ為にわずらわしいアレコレを背負っている。そしてこの高潔な貧困を描いた2作品は多くの方の心に残った。

2つの作品は保護も受けず一生懸命働いても貧しい。(平山は毎日外食しているし住んでいる家の外観はぼろいけど場所はいいですし本物の貧困というものでは無いが)

 

お金は無いと不安と不自由に捕らわれる事は染みついている。

平山の様に人との関わりを避けた1人暮らし生き方をしていて、もしも1人おき上がれない程しんどくなったら・・。

人生は往々にして自分で決めた事に頭が固くなって修正が効かなくなる事がある。

 

令和は時代の変化に乗り遅れる事や情報弱者になる事を憧れられている時代では無いのだから。

現実生活ではマネーテラシーや搾取っぽい話にはなるべく敏感でいたい自分に戻っていく。

 

 

「ダム・マネー ウォール街を狙え」

先の2先品の価値観に影響を受けつつあった私にはバランスを取れた作品でした。

2021年 日本では緊急事態が繰り返されている時に個人投資家達が資産を増やし豊かになろう・貧乏や不景気から抜けだそうとするストーリー。

 

 

 

前2作と違いお金に超執着しています。

生きる為に少しでも多くお金稼ぎたい、資産を増やしたい当然。

高潔さは感じなかったけどギリギリ中流を保っている位の人々が、時代に負けず才覚と株で資産を増やそうというのも高潔な精神。

わかりやすく痛快で元気が出る。

時代の風刺もよく描かれていた2020年代的な実話のコメディでした。

 

今すぐ抱きしめたい

混沌としていた香港。

弟分のトラブルに身も心もボロボロになっていく男。

男はギャング。本当に愛する女性が見つかったが弟分のトラブルが続き対応に追われる。

ミーンストリートのハーベイ・カイテルロバート・デ・ニーロのような関係。

 

出来の悪い弟分と男の関係。

私には兄も弟もいない。

どこか憧れるものがある。

困っていたら助けてくれる兄も立場も、ほっとけない弟がいる立場も。

トレインスポッティング」でこのような台詞があった。

「あいつはいかれている。でも友達だから仕方ない」

私にも幼い頃そんな感覚の日があった。

今はもうこのような価値観では人と付き合わない。

子供の頃、地元のつながりが裏切れない的な価値観(これはめんどくさいだけだったりしますが)。

 

友人だから守らないと。無条件に。

10代(中学生)の頃の感覚。

私は失った感覚。

ドラマ「未成年」のテーマは「いつか友達を裏切る日がくるのだろうか」だった。

 

無鉄砲な弟分の為に不器用に律儀に彼を救いにいく姿は私の内部にある青春の象徴そのもののように思える。

 

今すぐ抱きしめたい

英語のタイトルははAs Tears Go By

日英ともにタイトルが映画の本質と少し異なる様に思える。

 

 

 

 

 


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ゴジラ-1.0

アカデミー賞視覚効果賞おめでとうございます!

ミニシアター系サイト(ブレてる時もありますが)を自称していますが、めっちゃ興奮しました!

時代設定も色々思う所ありました。

 

 

 

 

午前4時にパリの夜は明ける

はるか以前にある国のある地域を旅し「日本人宿」と呼ばれる日本人が多く宿泊するゲストハウスに泊まった時だった。

今もその文化があるかどうかわからないですが、ネットは普及していましたし「地球の歩き方」もありましたが日本人宿には「情報ノート」というものがおいてあった。

宿泊客が情報や何か思い等を書いて共有するノートです。

主に安く快適に旅行をする情報や次なる日本人宿(そこの経営者の人となり)・リアルな物価。隠れた名所などが主だった気がする。

情報収集の場所で情報収集の為だけに宿泊する人もいた。他の日本人と触れ合う為に泊まる人が多かったですが。

これから向かう地域についての情報行ってきた人から聞く事もあれば、バックパッカーが記した「情報ノート」から情報を収集する事もあった。

何カ国も年単位で旅をするバックパッカーは「地球の歩き方」は荷物になり高額に感じたためスマホが無い時代はそうやって旅してきた。

 

雑談も多く記載してあり「メルボルン事件」を情報ノートで初めて知り異国にいる自分に若干の恐怖を感じたりと情報ノートには雑談や日記の変わりにもなっていた。

私の様に暇つぶしで読んだり書いたりするにもスマホの無い時代でしたのでうまく活用出来ていました。

 

そこにこんな雑文が記載されてた。「若い時にパリに行った人は生涯パリにとりつかれるだろう」といった内容だった。

 

私も2昔前に短期間滞在しましたが、興奮しました。

セーヌ川ルーブル・エッフェルとわかりやすいんですよね。残念ながら子供の頃から知っている場所を確認するような滞在以上のものにはなりませんでした。よくわからない場所もほっつき歩いたものです。

公園で人生を楽しんでいる住民やさりげなくイチャイチャする高齢者。高い建物の窓から外を見る女性。本屋に並んでいた日本の漫画。

個人的には印象的でしたが「情報ノート」に書いてあるようにパリにとりつかれる事も行動力も残念ながらなかったです。

気恥ずかしい様な思いもありますがパリには月並みですが憧れがあるようです。

ある作家の父が「ついにパリは見れなかった」と生前話したという文も読んだ事がある。

ロンドンでもローマでもバルセロナでもハワイでもなく、典型的庶民の日本人の私にはパリには特別な感情があるような気がする。

 

午前4時にパリの夜は明ける

午前4時にパリの夜は明ける

「ダンサー・イン・パリ」「パリ・タクシー」「すべてがうまくいきますように」等のパリが舞台の映画を紹介してきました。

未紹介ですが「ぼくは君たちを憎まない事にした」なんかも良かったですし「ウィ・シェフ」「ノートルダム・炎の大聖堂」「私の大嫌いな弟へ」「Winter boy」をこの一年で鑑賞しています。他にもあったような。

古くは「ミッドナイト・イン・パリ」なんかもパリの魅力がつまった映画ですね。

 


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家族と家出少女の7年の物語。人生の変化。乗り越える出来事。大人になる課程をパリの街と設定である本物の1980年代のパリの映像を時々挟んで進行していく物語です。

 

シャルロット・ゲンズブールも50代。繊細で気丈な雰囲気は10代の頃から残しつついい年齢の取り方をされている女優でした。

 

もしも時系列も無視して行けるとしたら1960年代頃の混沌とした香港を見たい。

1960年代のニューヨークの蒸気が出る町並みも歩いてみたい。どれも映画の影響です。

パリは情報ノートに記した名も知らず合った事も無い旅人が何故あのような文を書いたのか理解したいという体験が夢の場所として記憶にあるような気がします。

フランス(パリ)映画に見る体験は追体験

 

「午前4時にパリの夜は明ける」はパリの情感のつまった映画でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

TAR ター

ケイトブランシェットは現代を代表する名女優として名を残すのではないか。

 

穏やかな役柄から情緒不安定な女性、静かに佇む主人公の妻、パリピなキャスター。情熱的役柄。

 

どんな人生でその情熱を持ち合わせたのかはわかりません。

名前でお客を呼べる女優。

作品の内容の多くをしめる音楽にはふれません。迫力ありますが。

TAR ター

 

 

 

作品を見て考えさせられた事。

自分の間違った行いや言動。権力や立場の優位性を利用した行い。

(いわゆるハラスメント行為)

それはいつか自分に返ってくる。

人生は本当にその様に出来ているのだと私は思っています。

 

個人的には小さい失敗や自分より立場の弱い人をその時は無意識に傷つけても、自分の間違えを振り返り自分の行動を見つめ直し、次からは違う行動をとる。違う言葉を選ぶ。自分の感情をコントロールする。

取り返しのつかない心のキズを人に残したらダメですが、時として人間通しは色々な事がある。

本当に色々ある。

 

失敗を反省して少しずつマシな人間になっていければいいのかなと思います。

 

※今はスマホや録音で極端なパワハラなんてさらされたら終わりですし、社会人になった頃はびっくりする程昭和のど根性世代に怒られて育ってきた氷河期世代なのに、ハラスメントにならない様に怯えている方も多いのでは無いでしょうか。

人手不足等時代の背景もありますし令和にハラスメントなんて時代錯誤ですよね。

私も昔変な所で完璧主義でした。

変な所だけのこだわりは捨てました。

完璧でなくても、不様でも実はどうとでもなるし、完璧主義者の押し付けは苦しいですよね。

すいません。具にもつかない余談です。

 

天才であるターが人にとった過ち。権力の誇示。その顛末。

 

勿論芸術文化だけでなく、ある程度組織には絶対的な存在って必要ですし、場をピリッとさせる理路整然としたトップやカリスマは必要だとも思います。

怒られて押し付けられてきたから適正も無いのに同じ事を人にしたらパワハラになりがちなのかもしれません。はい。また余談です。

 

さて振る舞いに問題があったターがその後に取る行動や生き方は。。

ケイト・ブランシェット熱演です。

 

 

 

 

 

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