「マイ・プライベート・アイダホ」
リバーが演じた役は路上で暮らす男娼。母親探しのたびに出るが本当に探していたものは・・・。
出演時20歳。元々役にのめりこむタイプだったリバーは自己破壊してしまったと言われている。
父ジョンはステージママ的な母親とは異なる感性の持ち主だった様子。
家族達のハリウッドでの成功を傍目にコスタリカで農業や民宿を営むようになっていた。(リバーが出資)
20歳にして家族やスタッフ、バンドのメンバーを金銭的にも精神的にも支える役割(地元の人からギャングフェニックスと言われる事もあった)。
新しい恋人サマンサ・マシスと独立を目指すがドラッグ問題からは抜けられなかった。
そんなリバーを誰よりも気遣ったのは父ジョンだったよう見られる。
「自然の中で本物を人生を一緒に生きよう」と説得。
未完成のままだった映画(2014年編集の末公開)「darkblood」では主演と監督の間の意見の衝突の板挟みになり次に契約している「インタビュー・ウィズ・バンパイア」出演後の引退も視野に入っていた。
様々なプレッシャーから解放され生きていく選択史も持っていた様子。
価値観がフリースタイルの父に引退を促される程に精神状態はハリウッドスターから離れていたのか。もしくは引退を視野に入れるほどのプレッシャーがあったのかは想像するしかない。
20歳を超えてからより大作映画を避け、小規模な映画を選択していたのは本人のハッキリとした意思と意向だった。スピルバーグ監督が「インディ・ジョーンズ最後の聖戦」の大成功を得て「インディ、若き日の大冒険」をオファ-したが断っている。
父といえば偶然だが「ジミー」「モスキートコースト」「旅立ちの時」間接的ではあるが「スタンド・バイ・ミー」「インディ・ジョーンズ最後の聖戦」「リトル・ニキータ」そして「マイ・プライベート・アイダホ」とリバーの作品(約8年の映画キャリアで)には父子の葛藤や絆が主たるテーマや間接的な作品のポイントになる映画が多くみられる。
「自然回帰」の両親から育ったリバー。
「地球温暖化」の運動をしながらも1人当りの燃費が悪いプライベートジェットを利用し必要の無い数の車を所有するハリウッドスターとは一線画す。ドラッグはやりつつも。
1991年来日時はサンダル・ヨレヨレのシャツだった。
フラワーチルドレンでの幼少期の体験や10代から大勢を支える役割。
ドラッグの問題は古くはスタンド・バイ・ミー共演者コリー・フェルドマンからも証言がある(現在のアメリカでは州によって合法のものでコリー氏いわくキマっていたらしい)。
後に共通の趣味を持った仲間達との交流ができるはずの音楽の才能も裏目に出てしまう。当時のミュージシャンにつきものとされたドラッグに染まっていってしまう事になる。
可能性に満ちていた才能。関係者から見ると速度速く破滅へ進んでいたという。
1993年10月31日 ハリウッドのナイトクラブ「the viparroom」でドラッグの過剰摂取で死亡。
23歳。
早すぎる死に誰もが呆然とした。
写真は「リバーへ」の悼辞が記載されたR・E・Mのアルバム
「殺したいほどアイラブユ-」と「マイ・プライベート・アイダホ」で共演した親友キアヌ・リーブスと実質的な最後の作品「愛と呼ばれるもの」で共演したサンドラ・ブロックはリバーが亡くなった当時「スピード」の撮影中だった。
親友のキアヌ・リーブスから当時リバーの死について語られる事は無かったが、最近になってこれまで一番楽しかった仕事は「リバーとの撮影の思い出」と答えているという資料がある。
亡くなる直前の時期にリバーを初めて見たというレオナルド・ディカプリオは「やっとリバーに認識してもらえると思える仕事ができた頃に見かけた。声をかけようとしたけどリバーの姿が見えなくなってしまった」と語っている。リバーと入れ替わる様に現れたディカプリオはリバーで主演の企画や構想があった「バスケットボール・ダイアリーズ」「太陽と月に背いて」「仮面の男」に主演している。(後に「バスケットボール・ダイアリーズ」と「太陽と月に背いて」への出演は後悔しているとも話している)
一緒にクラブへ行った弟ホアキン・フェニックスが泣きながら救急車を呼ぶ声が、死亡のニューズとともに何度もオンエアされる。
ホアキンは「ジョーカー」で世界中から絶賛を受け世代を代表する名優の域に達した。姿や体重を役によって変える。生前リバーが語っていた「完璧な役作りで僕がどんな人間か想像もつかない様な俳優になるのが理想」を受け継ぐ様な形になった様感じられる。
特異の生い立ちと圧倒的な個性。体現した思春期のはかなさと不確かさ、苦悩。思慮深さ。躍動感。青年期に若者のカリスマとなり発言や語られるメッセージ、人生観や音楽活動、エコロジー活動。ジャンルを問わず多くの若者に影響力があった。
名声より真実。
存在感と思慮深さで出演する作品の方向性多くが文学的な作品となっていく。
「the viparroom」のあった建物には今も毎日人々からお花が供えられている。
リバー・フェニックスの伝説の振り返りでした。
in memry of river phoenix 1970-1993