「スタンド・バイ・ミー」で自らの心の傷を抱えながら親友をいたわるグループのリーダー。少年時代の感情の揺れときらめき、はかなさ、不確かさ。そして大人の様な思慮深さを体現したリバー・フェニックス。
今も見る者に優しく懐かしい永遠の名作となった作品で世界中に知られたリバー。
1993年10月31日 リバー・フェニックス急死のニュースが世界に駆けめぐる。
救急車に「早くきて!お願い!」と呼ぶ弟ホアキンの声が繰り返しオンエアされ
「急性多薬物中毒」と死因が発表された時も「あのリバーが」と信じられなかった。
1994年リバーが出演予定だった「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」が公開。
エンドクレジットで[In Memory of River Phoenix1970-1993]と悼辞が映し出されバンドREMのアルバム「Monster」には[For River]と悼辞が捧げられた。
インタビュー・ウィズ・ヴァンパイアのエンドクレジットでリバーが亡くなった事を再確認させられた。
1988年「旅立ちの時」でアカデミー賞ノミネート。
その時リバーが次に演じたい役は「バスケットボールダイヤリーズ」のジムキャロルだったと言われている。ボロボロになった原作を持っていたとも言われている。
また熱意を示した役は「太陽と月に背いて(TotalEclipse)」と「仮面の男」だったと言われる。(3作品ともレオナルドディカプリオ主演で映画化された。ディカプリオは「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」の代役も希望していたといわれる。最もこのトムクルーズとブラッドピット共演作は当時新進気鋭の若手の多くは代役を熱望した。「バックビート」で幻の5人目のビートルズメンバーを演じた当時若手のスティーブン・ドーフ等)
リバー自身は自身は自身の作品で「フェブラリット3」として
と語っていたという。
才能と可能性に満ちていたように見えたが晩年は内部の者から見ると破滅に向かっていた様に見えたという。
何故23歳の早すぎる死に至ってしまったのか。