リバー・フェニックスを探して

名作とミニシアター系をメインにネタバレなしで発信します。広告を含んでいます。

すべてがうまくいきますように

フランス映画が良作を量産している。

パリ五輪が近い事もあるのか。

 

 

芸術や食事・人生を楽しみ人生を謳歌してきた父が脳卒中で倒れる。

経過は順調だが後遺症が残り父は娘に「安楽死」を望む。

人生を終わらせる手伝いを頼まれた娘は合法的に安楽死を支援するスイスの協会へ連絡する。

父の気が変るのを望みながら、2人の娘は父の意思から真正面から向かおうとする。

 

尊厳死尊厳死の葛藤を描いた作品。

勿論 スイスでも安楽死にはかなり様々なルールがあります。(まず本人が正常な自己決定が出来る事が条件)

家族関係のごちゃごちゃもあるが、テーマの割に明るい尊厳死が描かれていた。

「生きる事と延命は違う」と訴える父。

映画なので(家族の葛藤もありつつ)トントン拍子に進んでいく。

現実はもう少し切羽つまったものがあるだろうが。

 

作品はフランス。日本とは価値観も法律も違う。

作品が描きたかった生きる事を終わらせる自由は描けていたと感じられた。

 

人が簡単に死ななくなった現代。

異国では死生観も。

安楽死に対する価値観は押しつけなく人それぞれのまま見る事が出来る。

価値観が異なるのでこういった作品も興味深いもの。

 

スイスでも安楽死はお金がないと出来ないのでお金持ちの特権ですね。

 

 

パリ・タクシー

PARIS TAXI

 

終活中、人生の未来のバトンを次の世代に渡す。

生活に追われどこかイライラしたタクシー運転手。働いても育児や生活にお金は足りず兄弟に借金をしなくてはいけない。

 

一方老女マドリーヌは自宅を離れ施設に移り住む事を決意する。

人生の総まとめをする時期。

 

施設までの道中に彼のタクシーに偶然乗り合わせる。さり気なく運命のように。

マドリーヌは自分の人生における思い出の地に寄り道をしたいと話す。そして寄り道の道中に人生における良くも悪くも特別な時期を語りかける。

マドリーヌの人生の振り返りの旅に同行する運転手。

生きてきた時代が違う事。徐々に畏敬の念や思いやりが生まれてくる。

 

もう中年に見える運転車に「あなたの人生はこれから」と語りかける。

そう。90歳の彼女から見たら「あなたの人生はこれから」なのだろう。

どんな時代にもその時代の課題や生きにくさがある。

コロナ禍や侵略戦争、物価高を生きる私達も痛感している。

私達も自分達の力で「時代の課題」や「時代特有の生きにくさ」を乗り越えて次の世代にバトンを渡さなくてはいけない。あっという間に年をとるのだから。

時間は有限!努力や生き方は∞

 

8日目の蝉

 

 

 

私の友人に「【俺は好きだけど】とか言わない」と言う美学がある人がいる。

それは凡人が「肌感」「好みだけど」等と言った前置きなく「誰が見ても」面白いというものしか「面白い」と言わないようにしているというある種屈折した意味を含んでいる。

 

例えば友人の場合「バック・トゥ・ザ・フィーチャー」は面白いけど「バクダッド・カフェ」は語るべきでは無いという縛りがあるという事にもなる。

私自信は自分が面白いと思ったものは躊躇なく面白いといいますが相手は選ぶかな。

 

昨年年末某都市のバーでの友人・バーのマスター二人が「面白い。見た事無いのかよ?」と驚いていたので早速鑑賞しました。

 

8日目の蝉

最近鑑賞。面白かったです。2010~12年頃の映画ってぼっこり抜けているんですよね。

しかし永作博美演じる女性が森口瑤子を演じる海の母の苦悩を想像できなったのだろうか。

「母性」とは社会通念を見失うものなのか。

それでも永作博美が良かった。

これが「日野OL放火殺人事件」にヒントをえて作られた作品だった事を知る。

ドロドロとした事件にヒントを得てしまう原作者は女性ならでは。

作品には憎しみでは無く「母性」「愛」の物語。

 

彼女はパラレルな世界に身を置きたかったのではないか?

彼女は「なれなかった自分」になりたかったのではないか。

 

そしてぬすまれた側の主演井上真央の旅は自分と彼女と両親と育ての母親への「ゆるし」への旅になっていく。

四国の風景がよく似合っていた。

友人の目利きは豪語するだけあって正確だった。

圧倒的な誰が見てもいい映画です。

 

 

 

枯れ葉

悪いいい方をすると下流中年の恋愛。

1月にやっとこ鑑賞出来ました。

 

枯れ葉世代は日本では氷河期世代では無いか?

恋愛映画はあまり得意では無い私も枯れ葉は惹きつけられるものがありました。

二人ともチャーミング。

枯れ葉世代的な損得や枯れた諦めが無いんですよね。

映画では失業したりアルコールの問題があったり。

作品は枯れ葉世代へのエール。

結局は人間の生きる意欲は時代の変化は関係無いんですね。

 

しかし立て続けにPERFECTDAYSのヒット。そして2作品とも良かった。

「貧困だけど高潔」

下流でも生きる事は美しく」

といったテーマは枯れ葉世代以降に受けるんですかね。

 

現実は若者や子供も中年も生きにくさを感じながら何とか折り合いを付けて毎日必死という人は沢山います。

だから高潔な貧困が美しく感じる様に思える。

 

高潔さや生きる事の美しさを体験するにはお金も必要だったり、年金や積立NISAをちまちま老後に蓄えるのも人間ですから。

 

どの映画も映画のままにしておこう。

 

 

こわれゆく女

メンタルの不調は時として周囲をまきこむ。

この物語の妻の行動に反応する夫や親の対応が女を「こわれゆく女」たらしめている様に思う。

「それは彼女が可愛そうだよ!」と突っ込みたくなるシーン多数。

ジーナローランズとカサベデスの夫婦ダックの代表作。

 

 

私はこの女性は一時的な奇行や世間の一般通念を少し逸脱したけども、本質的にはこわれていない様に見えた。

メンタルの不調や精神的な病気では無く一時的に安定しない女性程度に思えたからだ。

70年代〜90年代若い母親が育児や子育てのストレスや孤独で一種のノイローゼになる家庭なんて実はよくある事だと思う。

私の子供時代には機能不全家族(今思うと)が何人かいた。私の家庭もその様な時代があった。実に身近だった。温かい家庭もありましたけど。

だからこそ身震いする程怖いシーンがある。

 

同じカサベデス監督ローランズ主演映画でも「オープニングナイト」の彼女の方が狂気だったように見える。

本題は日本語に治すと「影響を受けた女」とでもいうべきか。

 

ローランズは天才的な迫力で演じ、カサベデスは低予算作品を量産する。

それにしても「こわれゆく」とは当時の邦題を作る方はよく表現したと思う。

彼女の背景はともかく作品の焦点はローランズの熱演なのだから。

 

 

 

欲望の翼 

1960年代混沌とした町、香港。サッカーサッカー競技上の売り子と金持ちの不良風優男を中心に複数の男女の恋愛群像劇と旅と最後に知る風景の意味をスタイリッシュな映像で描かれている。

村上春樹の詩的なモノローグにも影響を受けているという。

この景色。この場所、この詩的なモノローグはここにつながるのかと最後に理解する事になる。

男が探していた人は見つかるのか。旅の果てに見た景色とは。

 

元々2部作で後編の主役もいたらしい。

最後にその男が身支度をして終わる。(結局何者だったかは不明。そこがまた面白い)

香港が香港らしかった60年代を背景に(マギーチャンは制作時の90年代アイドル的女優)何かと斬新な作品です。

 

 

 

 

 

 

サン・セバスティアンへ、ようこそ

ウッディ・アレン。この方は後何作作品を作り続けるのでしょう。

90歳になっても作るのでは無いだろうか。 

映画で語りかけたい事や探求心が衰えない事に畏敬の念を感じます。


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アレン映画はNYの象徴だった時代もあったが近年スペインやヨーロッパを舞台になってきている。

 

ヘンテコで繊細で人生に悩む親父俳優(アレンの分身)ウォーレンスジョーンも80近い。

いい高齢者がエレナアヤナ扮する美しい女医に会いたい為、様々な詐病?を訴え何度も通院する。

まるでかわいいバイトの子に会うためにミスドに通う大学生のように。

 

エレナ・アヤナは一見落ちついた雰囲気のスペイン美女。確かにこんな先生がいたら会いたい為に通院したくなるのも納得。

 

楽しみを持って生きる事の素晴らしさと哀愁。あの年代のおじさん(おじいさん)が全力で現状の人生を変えようとする姿やこれまでの振り返りを行い自分を見つめ直す姿は哀愁より頼もしさすら感じる。人間本質は20歳位から変わらないものなのかも。(表面は変わっても本質は)

 

サン・セバスティアンという土地もおそろしく美しい。

映画祭が開催される町ということなのでアレン自身が映画祭で滞在した事があるのだろう。

アレンのコメディに酔いしれた回数は両手で数えられない。

作品のクオリティーを保ち続ける名監督ですね。

 

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