リバー・フェニックスを探して

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リバー・フェニックスを探して②

スタンドバイミー

マイプライベートアイダホ

旅立ちの時

1970年8月23日 オルゴン州マドラスリバー・フェニックスは生まれた。

両親(母アーリンと父ジョン)とその仲間達から「リバー・ジュード」と名付けられる。由来は両親達が愛読していたヘルマンヘッセの「シッダ-ルタ」に出てくる「命の川」、そして彼らが愛していたビートルズの「Hey Jude」にちなんで命名

両親は当時の文化でいうヒッピー達だった。

1972年両親は神のお告げを体験し「チルドレン・オブ・ゴッド」に入信。

「チルドレン・オブ・ゴッド」はフリーセックスを推奨し子供の頃から性的儀式に参加させる等後に問題となるカルト宗教。当時1000カ所以上に集団生活所を所有していたと言われる。

1974年ジョンがチルドレン・オブ・ゴッド教職に昇進。フェニックスとバイブルネームを授かり一家は伝道の旅に出る。

中央アメリカ。南米と各地を転々とする。1974年弟ホアキンプエルトリコで誕生。

チルドレン・オブ・ゴッドから金銭面の援助は一切なくのサバイバルライフ。電気や水道など物質文明から離れた生活をしていた。

「不安も恐怖も感じなかった。僕たちには信念があったから」と語るリバーだったがチルドレン・オブ・ゴッドの子供の頃の性的儀式には否定的で多くを語る事がなかった。

他の資料ではリバーは幼少期に同団体の腐敗と異常性を告発していると記述がある。

 

ある資料では「4歳から性的儀式に参加したが、その後14歳まで拒否した」と語っていたとある。当時は冗談だと思われたようだが実際はどうだったのか。

リバーは子供の頃からホアキンや妹レインと空港等でストリートパフォーマンスをして稼いでいたという。

5歳の時にクリスマスプレゼントでギターをもらう。

基本のコードを教わっただけで腕は瞬く間に上達し人々の注目を集めた。

「自分たちも楽しんで人に喜んでもらえる。貴重な体験だったと」とリバーは語っている。

1978年 教祖の実像に失望し両親はチルドレン・オブ・ゴッドを奪回。

ベネゼエラからフロリダへ渡り、母アーリンの実家に住む。

フェニックスを正式な名字として役所に届ける。

この頃リバーは地域のタレントコンテストに出て好評を得る。

街頭からテレビ出演とキャリアがはじまっていく。

後に「レナードの朝」等を監督するペニーマーシャルは母の学校時代の友人だった。

母は地元の新聞に載ったリバーの記事と手紙をペニーマーシャル当てに送り

パラマウントから「ハリウッドへお越しの際はお立ち寄りください」といった形式的返事がくる。

フェニックスファミリーはこの手紙だけを頼りにカリフォルニアへ移動する。

母はオーディションの情報が得やすい様にNBCTVに就職する。

母はその後子役タレントのエージェントと面会をとりつけた。

スタッフは「天使の様に美しい」とリバーをひとめみて気に入った。

リバーはCMに立て続けに出演しファミリーにかつて見たことがない大金をもたらした。

 

レナードの朝