私が一ノ瀬泰造さんを知ったのはカンボジアに行く直前の時期だった。
「地雷を踏んだらサヨウナラ」を日本で見て、プノンペンのゲストハウスでもう一回見た。プノンペンから私はアンコールワットのあるシェムリアップに向かう。
フリーランスの戦争カメラマンだった一ノ瀬泰造は1973年11月「旨く撮れたら、東京まで持って行きます。もしうまく地雷を踏んだらサヨウナラ!」と友人に手紙を託し単身アンコール・ワットへ潜入。以後消息を絶った。
1982年 1973年11月22-23日頃一ノ瀬泰造は武装組織に処刑された事が判明する。26歳だった。
プノンペンとシェムリアップでは私が訪ねた当時、大人も子供も「taizou!」と声をかけてきた。
映画や日記を読むと一ノ瀬泰造がカンボジアでどのように過ごしていたかがわかる。
両親が力を尽くし一ノ瀬泰造の残した写真を写真集にした。日記と友人や家族にあてた手紙をまとめ(地雷を踏んだらサヨウナラ)が発表される。
死の直前撮影した戦地のアンコールワット・バングラディッシュ・カンボジア・ベトナム等の写真は写真集で見る事が出来る。